2009年1月21日水曜日
選択
先週末は寒かったね、
月曜日は鈴鹿でケンタが走行だった。
冬休みは毎日何処かを走っていた。
朝青龍が勝った!
嬉しい。
私はあの生意気で強いところが好きなんだ。
TSR第二創業の話しをした。
しかし、創業者の親父はもっと大変だったと思う。
何も話してくれない親父なので
私自身が体験した環境変化の中から想像するしか無かったが
一番大きな出来事は
ホンダがレースを撤退した時のことだったのではないだろうか。
TSRはテクニカルスポーツと言って
ホンダの国内ファクトリーチームであった。
ロードから始まりモトクロスまで
RSC(現HRC)が出来てホンダが直接運営を行うまでは
TSRがホンダからの委託業務契約でチーム活動を行っていた。
千葉の船橋海神(船橋サーキット近く、今はララポート)
にあったTSRファクトリーが鈴鹿に移ってきたのも
ホンダが鈴鹿サーキットを創ったからだ。
TSR の土地は登記簿謄本で所有者は朝霞研究所となっていた。
つまりホンダが用意したくれた場所だったのだね。
鈴鹿に移ってきてから我が家は数年で二度引っ越している。
当時は何も考えなかったが
親父の仕事が変化しているのは感じていた。
レース屋だったのに、いつの間にかガソリンスタンド(現鈴鹿サーキットの入り口にあった)を経営したり、雀荘、喫茶店を現TSR鈴鹿ファクトリーで行ったり
ホンダが四輪販売を行うと共に自動車修理販売業を行いだした。
つまりレース運営活動は止めたんだね。
それも自分達が止めたくて撤退したのではなく
ホンダからの100%委託業務活動だったから
メーカーのホンダが撤退したから親父はリストラされたのだ。
そこで仕方が無く一般の出来る仕事を始めたのでは無かったのだろうか。
当然、職人気質の親父の商売が上手く行くわけなく
ガソリンスタンドは廃業、雀荘は閉鎖、喫茶店も自動車修理販売業も
上手く行かなくなって住む家を手放したりして資金繰りを行ったのだ。
何も知らない私には全くわからなかった。
この辺まで書いていて止まっていた。
私は今もメーカーや経済環境が悪いとは決して思わない。
親父も同じだったと思う。
何故なら、一言も愚痴や泣き言をいったことはなかった。
自分達が好きで選んだ道だ。
これからも突き進んでいく。
バイク一筋!
写真は85年の4耐マシン!当時の TSR カラー、ライダーは井上だ。
今は TSR ピットレーンの主としてサインボードを出し続けてくれる。
それと、このマシンに張ってあるステッカーがボディークラフトだとわかる人はかなりの通だね。最近小島さんの息子さんとあちらこちらで出会い話をするようになった。
彼はベルギーでモトクロスに挑戦するといっている。
頑張って欲しい!
投稿日時:2009/01/21 00:02:49 投稿者:【藤井正和】
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