2009年1月12日月曜日

原点回帰


原点に戻る!

2009 年のTSRはシンプルにスピード良く出来るだけスモールになる。

その為に第二創業の頃を想い出さねばならない。

我々のTSRはワールドモーターと言う車の修理屋だった。

1982 年だね。

レースどころかバイクの販売も修理さえもしていなかった。

従業員はゼロ!

最後の一人が辞めるので私が帰らなければ廃業すると父から伝えられた。

当時、大阪で一人暮らしをしていた私が鈴鹿へ戻る決意をして

最初にしたのが(現在製品事業部長、鈴鹿店長補佐)山下に電話をすることだった。

「おい、俺鈴鹿へ帰って仕事するからお前も来いよ!」

山下は「おう、わかった」こんなノリで埼玉マツダディラーを退職して

2 週間後には鈴鹿へ来てくれた。

二人が行ったのは来る日も来る日も車のエアコン付けと車検整備だけ

そのうち鈴鹿SFに勤めていた(現副社長)浜端が加わり三人になった。

我々三人は埼玉ホンダ学園で同級生だ。

学生時代から生意気だった私が山下と口約束をしていたのは自然な流れからだ。

「何時か一緒に仕事をしよう!」

毎日が楽しかった。

朝から真夜中までよく働いた。

そんな中で気がついたらレースを始めていた。

トランスポーターの車なんて無いから鈴鹿サーキットまでバイクを押して行くんだ。

その当時は誰もが8耐を勝つなんて思ってもいなかったろうし

WGPに行くなんて考えもしなかったはずだ。

でも念願の4耐を 88 年に制覇したころには8耐の事やGPの事も

必ず「勝てる!」と思っていたし

側近の連中には話していた。



TSRは 27 年たった今も基本的には当時と何も変わらない。

レースなんて昔から大変だったし

これからも大変なものだ。

それに、レースをやっていて儲かったことなど一度も無い!

当然である。

WGPで勝ったり

8耐を勝っても

借金が増えるだけで何も変わらないし

期待したことなど一度もない!

親父の時代から同じではないだろうか。

だから今メーカーが徹底しようがスポンサーが縮小しようが

驚きはしない。

だって、みんな苦しいときは苦しいのだ。

最悪TSRは昔と同じようにバイクを押してサーキットへ行くだけだ。

そんな覚悟をしているし

それでもレースが好きで

次世代のケンタへも承継していくつもりである。



今年我々は思いっきりレース活動を楽しむ!

残念ながら現段階では皆さんに教えてあげられない。

TSR社員達は大いに盛り上がっているので期待して待っていてください。

もうじき教えてあげる!

写真はプロカメラマン脇田さんが撮ってくれたケンタ


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