2008年8月30日土曜日

0.74秒


「温故知新」の観点から蓄積されている過去のブログをご案内いたします。
~保存日2008年2月26日~

17 日日曜日に頼城の結婚披露パーティーに行ってきた。

80 年代前半に頼城は本田技研鈴鹿製作所に勤めていた。

そんな時に我々は知り合った。

彼は最初からメカとして TSR に入ってきた。

自然となるべくして佐藤のメカとなった。

そして彼はプロの道を選択する。

1985 年にはホンダが RS250 を発売した。

頼城はこのマシンを自費で購入し佐藤に与えた。

佐藤は金がないのを私が一番よく知っている。パーツやタイヤ代金など全て頼城が出資したのだ。

このデビューしたての RS はやっかいな代物だった。

フロントホイルが 16 インチと 17 インチを選ぶことが出来るようになっていたが 250 など走らせたことも乗ったこともない我々には何を選択すれば良いのか全くわからなかった。

そんな調子だから非常に苦労した。

それに比べて実績のある TZ は圧倒的に勢力も性能も安定して速かった。



実は、この年の終わりに HRC が身内で祝勝会を開いてくれた。

RS で優勝したのはテクニカル関東の天田選手、鈴鹿レーシングの選手と頼城が走らせていた TSR の佐藤の三人だけだった。

ここで私と少数の人達だけが知っている事を皆さんに話そう。

市販されたマシンで優勝したのは佐藤と頼城ペアだけである。

前年から 250 クラスに復帰した HRC は特定の選手達にキットパーツを支援し自らもファクトリーマシンを送り込んでいた。

それに対抗してヤマハ陣営も TZ トップユーザー達には SPL パーツを出しているしファクトリー活動も盛んに行っていた。

我々のマシンは最高速で10km以上は遅かったのではないだろうか。

そんなマシンだけど佐藤は自分より年下の頼城がなけなしの金をはたいて提供してくれた RS を鬼神のごとく走らせ第 22 回日本グランプリ国際 B 級クラスで優勝したのだ。

私のレース歴の中でも忘れることが出来ない奇跡の瞬間だった。



最終ラップにヤマハの 2 台と佐藤はもつれるように西コースへ消えていった。

帰ってきたシケインには 3 位で進入!

我々は誰もが「やった!初表彰台で 3 位だ」と喜んだ。

しかし最終コーナーにトップで出てきたのは佐藤だった!

2 位の小川選手と太田選手は千分の一秒台まで同タイムで佐藤とのタイム差は 0 . 74 秒だ!

チェッカーを受けた後は二人に左右から抜かれていった。

嬉しいとか感動したと言うより何が起こったのか理解するのに時間がかかったような気がする。

人間が起こす奇跡の瞬間に立ち会えた事を今でも誇りに思っている。

頼城!結婚おめでとう。



ここまでは書いていたのだけどなかなか UP できなかった。

HRC のサービスショップ会議があったり、ホンダパーティーもあり

日曜日はサンデーレースだった。

雪で中止になったのだけどスクール生達の進捗度は凄い!

非常に楽しみだね。



写真は白子店の稲垣光。

初めてバイクを販売した喜びのケーキだ。

私も 82 年に自動車を販売した最初のお客さんは今でも覚えている
投稿日時:2008/02/26 01:49:23 投稿者:【藤井正和】


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